命の大事さ。
2003年6月2日昨日の午後のヤフーのトップ記事で,5歳の男のコが腸閉塞であるにもかかわらず,医師から放置され死亡してしまった事件は,開いた口がふさがらなかった。
概要は,3月のある早朝,おばあちゃんのおうちにお泊まりに行っていた5歳の男のコが腹痛を訴え,小児医療にチカラをいれているということで,病院へ行ったが,診療後,帰宅。また痛みだしたので,再度病院へ行ったものの,医師からは冷たい扱いと所見ミスともいえる行為を受けてしまう。看護士のアドバイスにも耳を貸さず,交代の医師にも適切な申し送りをすることなく,その間痛みに耐えていた男のコは,容態が急変。心臓マッサージを受けるものの
午後に死亡。
私は,そのコのお母さんが,いたたまれない。お母さんは,自分をひたすら責めているのだという。
「私がもう少し,先生に詰め寄って「お願いします」といえばよかったんです。。。」
腸閉塞の痛みはかなり痛いと聞いている。ましてや幼児が必死にその激痛と闘っているのを傍らで見ていたら,どんなに切ないだろう。
私は,医療に携わるヒトはすごいと思っている。どんな場面でも冷静沈着にしかもミスが許されない現場。病気を診てもらうには,医師でないと専門的なことはわからないし,その判断を周りは仰ぐしかないのだ。その立場である人間がなぜ,そんなことをしてしまうのだろう?
傲慢さ?それとも経験から得た自信の裏返し?
現代の最先端の医療技術を駆使しても救えない病はたくさんある。でも最善を尽くしてもらっているのをそばでみていたら,たとえその命が潰えたとしても納得できると思う。
でも,腸閉塞は,早期発見早期治療であれば,治るものだといわれている。亡くなった男のコは,もともとは元気だったのだから,本人の蘇生力も合わされば,絶対救われるはずの命だったのだ。
私も先週まで病院でお世話になってたからこそ,医療のありがたみを感じている。でも,一部の粗悪ともいえる医療行為で,そのありがたみが,薄らぎ揺らぎ,不信感へと姿を変貌させるのは,あっという間のことなのだ。
最後になるけど,亡くなった男のコへ。
合掌。
概要は,3月のある早朝,おばあちゃんのおうちにお泊まりに行っていた5歳の男のコが腹痛を訴え,小児医療にチカラをいれているということで,病院へ行ったが,診療後,帰宅。また痛みだしたので,再度病院へ行ったものの,医師からは冷たい扱いと所見ミスともいえる行為を受けてしまう。看護士のアドバイスにも耳を貸さず,交代の医師にも適切な申し送りをすることなく,その間痛みに耐えていた男のコは,容態が急変。心臓マッサージを受けるものの
午後に死亡。
私は,そのコのお母さんが,いたたまれない。お母さんは,自分をひたすら責めているのだという。
「私がもう少し,先生に詰め寄って「お願いします」といえばよかったんです。。。」
腸閉塞の痛みはかなり痛いと聞いている。ましてや幼児が必死にその激痛と闘っているのを傍らで見ていたら,どんなに切ないだろう。
私は,医療に携わるヒトはすごいと思っている。どんな場面でも冷静沈着にしかもミスが許されない現場。病気を診てもらうには,医師でないと専門的なことはわからないし,その判断を周りは仰ぐしかないのだ。その立場である人間がなぜ,そんなことをしてしまうのだろう?
傲慢さ?それとも経験から得た自信の裏返し?
現代の最先端の医療技術を駆使しても救えない病はたくさんある。でも最善を尽くしてもらっているのをそばでみていたら,たとえその命が潰えたとしても納得できると思う。
でも,腸閉塞は,早期発見早期治療であれば,治るものだといわれている。亡くなった男のコは,もともとは元気だったのだから,本人の蘇生力も合わされば,絶対救われるはずの命だったのだ。
私も先週まで病院でお世話になってたからこそ,医療のありがたみを感じている。でも,一部の粗悪ともいえる医療行為で,そのありがたみが,薄らぎ揺らぎ,不信感へと姿を変貌させるのは,あっという間のことなのだ。
最後になるけど,亡くなった男のコへ。
合掌。
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